森林ツアー前編 ~ようこそ、時を紡ぐ高野山へ~

難波から100分。意外と近い高野山

日本人なら誰しもが耳にしたことのある、高野山。数々の逸話と共に語り継がれるこの地は、日本の遥か彼方にあるのでは?とよく言われるのですが、実は、大阪市街地からでも、アクセスしやすい環境にございます。

午前09:30、南海電鉄「難波駅」へ集合。今日のガイドは、金剛峯寺境内案内人の古川が務めます。駅のホームへ向かうと、「南海特急こうや」が迎えてくれました。乗り心地の良い特急電車に揺られて、標高約900mの山上を目指します。

空海の歴史を辿り山頂へ

途中、車窓から「六文銭」の家紋を記した暖簾が掛かる駅舎を通過します。そこは、戦国武将・真田幸村ゆかりの地として著名な九度山町。この九度山町は、高野山開創の祖・空海ゆかりの地でもあります。ここは、弘仁7年(816年)、嵯峨天皇から高野山の地を賜った空海(弘法大師)が、高野山への表玄関として伽藍を創建した地でありました。高野山一体の庶務を司る政所を構え、高野山への宿所や冬期の避寒修行の場所として、この地の伽藍が使われました。そして、空海の生まれ故郷、讃岐国多度郡(現・香川県善通寺市)からは、空海の母が高野山を一目見ようと訪ねて来られ、その際に滞在した地が、この九度山でした。当時の高野山は女人禁制であった為、母上は、麓にあるこの政所に滞在されたということです。そして空海は、高野山麓に滞在する母を思い、20㎞にも及ぶ山道を下って、ひと月に9度もこの政所へ通ったといい、そんな逸話からこのあたりに「九度山」という地名が付けられたと伝わっています。

高野六木の植林地を眺める

空海の物語に想いを馳せながら徐々に勾配が高まる道のりを進むと、山の麓では、コウヤマキが植林された山の風景を見ることができます。端正に植えられた樹々の名は、高野槙(コウヤマキ)。ちなみに写真は、高野槙の葉っぱです。

高野山真言宗では、高野槙の枝をお供え物の花として飾るため、高野山内の多くのお土産物屋で目にすることができる植物です。また、悠仁親王殿下のお印にも選ばれた高野槙は、世界三大造園木にも選ばれるほど、その凛とした美しい姿が印象的です。近年では、東京スカイツリー建築に伴うデザインのアイデアとしても、高野槙が選ばれたようで、いろいろな分野から注目を集める日本の樹の一つです。

ちなみに高野山では、江戸時代後期より、杉・桧・赤松・樅(モミ)・栂(ツガ)・高野槙(コウヤマキ)を高野六木(こうやりくぼく)として定め、「留木(とめぎ)制度」の下でその伐採を制限してきました。これらの樹木は大切に保護育成され、寺院の建築や修繕のために用いられてきたのです。

現在見られる高野六木の森の景観は、お大師さま(弘法大師空海)の教えを現すとともに、後世に残すべき、木と共に生き続けるための智慧を今に伝えていることが、車窓からもうかがえます。徐々に深くなる山間の深さを感じていると、極楽橋駅へ到着しました。ここからは、ケーブルへ乗り継いで、高野山駅を目指します。

こんなところに高野霊木

ケーブルを降りた後、乗車客は次の行程へと足早に進みますが、我々には見逃せないスポットがあります。向かう先は、高野山駅のコンコース。そこは、高野霊木の納材事例でもあるのです。「ここ高野山は、世界遺産にも登録されている信仰の息づく聖地で、お大師さま(弘法大師空海)が約一千二百年前に真言密教の根本道場として開創されました。この通路の腰板は、高野山真言宗総本山金剛峯寺よりご提供いただいたもので、お大師さま(弘法大師空海)と共に時を重ね、高野山の森にて成長してきた高野霊木(スギ)を使用しております。」
高野霊木の腰板で彩られたコンコース近くのプレートには、このようなメッセージが記されています。

金剛峯寺〜直径2.87mの切り株に迎えられる〜

高野山駅から、さらにバスで15分。いよいよ高野町の中心街へ到着しました。山上には開けた街が広がっています。僧侶、お遍路さん、外国人観光客、団体ツアーのお母さん方、表の食堂で店員さんから、住民の子供まで、この地域ならではの多様な人々が、中心通りを行き交います。そして、高野山真言宗の総本山・金剛峯寺へご参拝。

金剛峯寺は、豊臣秀吉の母の菩提寺「青厳寺(せいがんじ)」と、高野山を焼き討ちから守った応其上人のために建立された「興山寺」が、渡り廊下で繋がり形成されています。本堂へ入ると、威厳を示すかのように、廊下の梁が目に飛び込んできます。この梁は海老虹梁(えびこうりょう)と呼ばれ、芯去りケヤキ材から彫り出されているのです。

そして、あるお部屋には、高野杉の切り株が展示されていました。
生育時の樹高は57m、直径2.87m、根本周囲9mという巨木!
かつて奥之院の霊木として、参拝者を見守ってきた高野杉です。

その後も数々の部屋を巡り、歴史を学びます。
庭園をみると、スギやコウヤマキの植物が青々とした彩を添えていました。最後に廻るのは、炊事場。
梁に用いられているのは、栂(ツガ)です。全国から信者が集う宗教空間は、日本人と親しみ深い様々な「木」で形成されているのです。

中門と境内の切り株

続いては、中門へ。

高野山では、平成27年(2015年)年の開創1200年を祝う大法会「開創法会」に向け、江戸末期年に焼失した中門の再建事業が行われました。中門の御柱18本のうち1本は、西塔(高野山壇上伽藍)の裏手から伐採された374年生のヒノキです。「槍鉋(やりがんな)」を用い宮大工の手作業で円柱に加工され、正面右側から3本目で、中門を支えています。「石場建て」の土台の上へ設置すべく、石の表面に合わせて木口が削られている細部も必見です。

さっそく高野山壇上伽藍境内・西塔裏手の伐採木を訪ねました。ヘリコプター集材で搬出された木材ですが、現在は「中門用材伐採切り株」として立札と共に展示されています。中門再建事業では、約300年生のヒノキが多数集められました。このように、通直で品質が高い年生の木材を使えたという事実は、返せば、長期間に渡って山々を仕立てる林業と、それを活かす建築の技術が継承されてきた歴史でもあります。高野山は、「生かせいのち。」という理念を掲げていますが、それを体現するかのように、長年生きた高野杉は中門へと姿を変えて、参拝者を迎えています。

天空の町からの景色

「高野山」と称されるこのエリアですが、実際に高野山という山はありません。八葉の峰=8つの山々(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)に囲まれた盆地状の平地の地域一体が「高野山」と呼ばれます。

せっかく標高約900mの地域に来たのであれば、その景色を眺めたいところ。今回は八葉の峰の一つ、弁天岳へ登りました。

山頂まで短い登山道ですが、途中で数々の植物に出逢いました。例えば、真っ赤なアオキの実。まるでコーヒーの木のような見た目ですが、常緑で枝まで青い(緑色)ことから、「青木」と名付けられた、日本原産の植物です。葉には苦味健胃(くみけんい)の作用があり、日本古来の胃腸薬・陀羅尼助にも配合される植物です。

そして、足元に落ちていたのは、高野六木の一つ、コウヤマキの球果。
まるで薔薇の花びらのような形をしています。

季節ごとの自然の色合いを楽しみながら、歩くこと約30分。山頂からは、伽藍や紀伊半島一帯を見渡せる眺めが広がっていました。そして、頂上にある嶽弁天社へお参りをしてから、帰路へ。

宿坊でいただく精進料理

弁天岳から下った後は、宿坊へ。
今回は、塔頭寺院(たっちゅうじいん)の一つ、龍泉院へ宿泊させていただきました。塔頭寺院とは、山内に点在するお寺のこと。高野山には117の塔頭寺院が現存し、そのうち52ヶ寺は宿坊として、高野山を訪れる参詣者へ宿を提供しています。
ご挨拶した後は、さっそく温かくお風呂で汗を流します。その後は、精進料理の夕食。その中でも名産品の「ごま豆腐」は、絶品です。

お腹いっぱいになったところで、その日見た高野山の景色を反芻しながら、明日に備えて、綺麗な和室で眠りにつきました。

いよいよ明日は、奥之院へ。
続きは「後編~他とない、高野山の歩き方~」をご覧ください。

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